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ただなぁ日本兵の一番の敵は大本営というね。ほんとおつかれさまでした。
『ラバウルの空は岩本でもつ。』
岩本さんの本を読んできました。本の中で言及されてた動画が実際に確認できて嬉しいです。ありがとうございます!
戦史と映像がリンクしてる貴重な映像です。トップエースの岩本徹三さんと小高トッカン兵曹が同時に出演。日本海軍航空隊最後の花形シーンです。
こんな動画が観られることに感謝します。
この時の戦いは本で読みましたがさすが精鋭揃いのラバウル航空隊ですね。🇯🇵
4:24に離陸する零戦(機首の形状から21型だと思います)は右翼の下に何か懸吊しています。たぶん三号爆弾だと思います。
貴重な映像をありがとうございます。
英霊の皆様には感謝しかない。
字綺麗だなぁ
鉢巻きに一升瓶を持っているのは通称トッカンこと、小高氏です。中学生の時の同級生のお父さんでした。そして隠れた撃墜王です。五本の指には確実に入ってます。潜水艦を一発で撃沈したのは世界史で彼だけです。そして最初の特攻隊の確認役です。(戦史では二番目となっているが)
現在you tubeで視聴できる昭和時代のNHK特集「紫電改」にも、壮年のころの小高登貫(のりつら)氏が、空戦フラップの使い方についてインタビューに答えているシーンが収録されている。氏の手記「ああ青春零戦隊」は今でも光人社NF文庫で入手可能だ。次世代の日本の青少年にぜひ読んでもらいたい一冊である。
潜水艦撃沈について米軍の記録を調べてみましたが、残念ながら、その海域での損失はありませんでした。関行男大尉の敷島隊の特攻直前に、久納中尉の特攻の出撃があったのを、本で読みましたが事実でした。久納中尉が予備士官でしたので、海兵出の関大尉を軍神として報道したい大本営の思惑でした。
先輩方すごかったのですね!誇らしくおもいます。
祖父が戦時中にラバウルにいたと聞きました。戦時中の思い出は何も遺しておらず、アルバムから写真を剥がした跡があり、幼少期の写真もあったのに戦時中の写真だけ1枚も残っておらず、思い出話も休憩中の楽しかったことしか話してくれなかったようで、さぞかし辛い思いをしたんだろうと親と言っていました。ですが先日曾祖母の遺品から俸給のお知らせや、戦後帰国した時の復員証明書などの書類が出てきて海軍の第28設営隊に所属していたことがわかりました。このパイロットたちを死地に送る施設をつくったことに罪悪感を感じていたのかもしれません…。ちなみに、零戦を間近で見ようと近寄ったら零戦はお前ら馬鹿が触っていいもんじゃないと怒鳴られたそうです。笑
やはりこの頃までの海軍航空隊はエリート集団だったんですね。そりゃ皆憧れますわね。
岩本徹三の空戦記に、この日の事らしい記述があるね、最後のほうに自分が大きく写されていて、あとで見て驚いたとある。
それにしても、トラック島にあった約450機の航空機が破損、壊滅とは。なんとももったいないことだ。
今はこんな日本であるが千年、二千年も後になれば日本は誇りを取り戻すだろう
ラバウル末期の 零戦隊の 奮戦は凄まじかったと 当時の 指令は 後に 激賞してます。 少ない機数で 圧倒的多数の 敵編隊に 知力と 気力で対抗していたのは 正に 日本人の 誇りです。戦況を見極めて 戦い続けた ラバウル航空隊には 日本人の 素晴らしい所の 全てが 凝縮されている気がします。また 賛否両論のある 岩本少尉ですが 『 ラバウルの 空は 岩本で持つ‼︎』 この言葉が 全てです。敵味方関係なく ラバウルで 散った 英霊に 哀悼の意を 思います。
今日知ったんだがうちのおじいちゃんここにいたらしい。この島で腕にくらった銃弾が記念?として今も家にある。この映像に映ってる人たちでおじいちゃん知ってる人もいたりしてwもう20年前に死んだけどね。
なにがすごいってラバウル航空隊のおかげでアメリカがラバウル攻略をあきらめた一因を作ったのがすごい。まあラバウル航空隊は最後の最後まで精鋭部隊が守ってたわけですが
万歳!!畏れおおくて、この言葉以外出てこない。
8:46~この方が岩本さん
軍需品軍事用の物資兵器装備品艦船航空機燃料原材料糧株軍需品補給部隊前進あるのみ
52型は円形翼で翼端縮小で横転性能が大幅に向上し失速特性を改善させている。タンク増設で航続距離を伸ばし。向上した急降下制限速度400ノットは敵と同等20mmは21型の60発から125発に増え、後に高初速型になっている。自動消化装置もあり、速度向上とあいまって21型より52型の方が明らかに高性能。現地からも21型はもう送ってくるなと要請している。この時の戦闘結果は米軍の資料とつき合わせて12対0で日本の勝ち、69機は盛りすぎだが5倍ぐらいの誤差は日米両軍で平均的誤認。米国の参加戦闘機はF6FとF4U、戦勢が圧倒的に不利になる前は52型でも互角に戦っている。さもなきゃ対ゼロ戦特化のベアキャットの開発もない。
零戦のエンジンカウルの形状から21型と22型、それに推力式単排気管らしきものが見えるので52型もいるようです
この日、1944年1月17日、米軍はP-38を八機、F4U、F6F、SBD、TBFそれぞれ一機、合計十二機を喪失しています。日本海軍204空、253空の損失は零。撃墜戦果に誤認はつきもので「69対0記録」は明らかに過大ですが、日本軍側が一方的な戦果を記録した事は事実です。
この日の話ではずっと疑問をもっていましたが、もっと米側の被害は多いはずです。 実際この映像ではB24撃墜を報じていますが現在そういった米軍の記録は無さそうです。 米軍の戦爆連合はたくさんの部隊が集まって構成されていました。 たぶんそれぞれの飛行隊によって被害の記録が残されているかいないかで話が変わっているのでは。 もしくはこの映像が他の日の戦闘と混ぜて編集されたか。 しかしこの日ラバウルの地上員は50機にも及ぶ墜落を目撃しています。 もちろん地上からも複数の人員が同じ飛行機の墜落を重複して報告しているかもしれませんが。 ちなみに日本側に被撃墜が無かったことを米国人が大変驚いたとか。 米側も日本機を数十機撃墜と認識していました。
toshio watanebe 君初速は遅く「小便弾」と呼ばれ、装弾数60発の九九式二十粍機銃二型搭載は零戦21型です。52型搭載の三型では、初速、発射速度も向上し、100発ドラムに変更以後125発から200発のベルト給弾へと進化しています。
いろんな型式の零戦が乱舞してる。
昨日の敵は今日の友。今でも靖国神社参拝に来ている元米軍パイロットたち。「空のサムライだ、彼らは勇敢だった」と。米軍パイロットは絶対に日本人を馬鹿にしません。敵でありながら敬意を持ってくれています。米軍パイロットの息子のテキサス親父さん。最近見ないけど元気かな?数年前に靖国神社参拝に来てくれましたよね。
流石に69は誤認だが0は本当というのがラバウル航空隊の凄腕ぶりを物語る(悲しいかなこの勇者たちの多くは数ヵ月を経ずして多くが戦死してしまうのだが)
凄い画像ですねぇ-!こんな画像を良く投降して下さいました。こんな南方の島に良くもこれだけの航空機を集めておれたものと感嘆します。惜しむらくはこれら勇猛な兵士達の活躍をもってしても、戦局の挽回はならなかったことである。その後個々に登場した若き航空兵士達の運命はどうしたのであろうか?明るく、恐れhげも無く、勝利を信じたこれらの若き獅子たちの運命は?
話し八部だとしても、凄いじゅないのよ 零式艦上機!中期以降は改悪も重なり、七面鳥撃ち(阿痴でも落とせる)などと揶揄されたど、どうして どうして やるじゃないですか 零戦さん !出撃し、空戦後も立派に帰還している・・・それだけで凄いよ。実際は、卑下するほどの大差って無かったんだね?
+かわさききよこ さん所謂日本で言う大本営発表でありまして実撃墜は梅本 弘 によると10~11機前後だそうです。但し11機撃墜だとしても味方は全機帰還なので大勝利と言えます。 (20年3月19日の松山付近の紫電改の活躍も実は負け戦でした)この時期、日本のパイロットの練度が酷かったと言われますがバリクパパン等の製油地に近い飛行場では練度も高く空襲しに来た米陸軍の戦闘機・爆撃機に少なからずの損失を与えています。要はやはり「航空機用ガソリン」の充足による訓練度合いなんでしょうね。
+pon yama さん>練度も高く これを蔑ろにしたことで、後から大きなツケが回って来ましたね。>航空機用ガソリン お爺ちゃんから、戦時中に松の根っこを掘らされたって聞きました。これを精製してテレピン油(航空燃料)にすると聞いたって言ってたよ。 四式戦闘機なんかは、高性能オイルを入れたら、ノースアメリカン P-51を凌ぐほどの性能を発揮したとも聞いたわ。勿論、工業力の差は歴然としてたけど、高性能オイルと、訓練度合いって、仰る通りで重要よね。
+かわさききよこ さん>松の根っこを掘らされたって聞きました。これを精製してテレピン油(航空燃料)にする残念ながら松の根から採れた油は当時は精製技術が足りず航空機用ガソリン(車両用でも無理)としては使えませんでした。無論科学的には可能なのですが三次精製までは不可能で出来たモノは良いところオクタン価で50くらいだったようです。(通常は87~92オクタン価、米軍は普通に100オクタン価以上)>四式戦闘機なんかは、高性能オイルを入れたら、ノースアメリカン P-51を凌ぐほどそれは米国製のオイル・プラグ・高オクタン価のガソリンを積載の上実戦装備では無い状態ですね。因みに大戦中期までの日本航空機使用のオイル(潤滑油)は実は戦前に米国から輸入したものを貯蔵したものを使っていました。無論戦争中は米国からの輸入は出来ませんから中期以降は粗悪な(までは行きませんが)日本製となりました。あと余談になりますがよく「もう少し戦争が長引けば新鋭機が」との話を出される方がいらっしゃいますが実は昭和20年8月の終戦時の日本陸海軍の航空機用ガソリン残量は約一ヶ月分で既に戦争継続能力が無くなっているのがよく分かります。(資料:石油技術者達の太平洋戦争)
+pon yama さん>残念ながら松の根から採れた油は使えませんでした。そうだったんですか。でも、お爺ちゃんがしたことは、決して無駄にしたくないわ。お爺ちゃんも、お国のためにと思って一生懸命掘ったんですもの。>航空機用ガソリン残量は約一ヶ月分で戦争継続能力が無くなっている山本五十六大将の言ったとおりになったわね。戦争に負けちゃったけど、息子や夫を戦地に送り出した母や妻、そして家族の深い悲しみを思うと、胸が詰まるわ。戦地に赴いて命を投げ出した方々を思うと・・・、ホント頭が下がるの。悔しいけど、これで良かったのかな・・・と。
そういえばこの日の本当の戦果は小高の父ちゃんが戦闘日誌に残しているよ。大本営発表と違い、現場のパイロットの日誌だから正確。探せばこの日の戦闘日誌の記録があるので探してみるわ。見つかったら投稿するよ
岩本さんも日記を残してるけど?
クイーンビクトリアはあのクイーンエリザベスの姉妹船です。名門キュナードが運営しています。
この撮影のとき報道関係者が岩本徹三にガンカメラつけてって頼んだけど断られたんだよねつけて欲しかったなー・・・もし日本のエースの空戦が撮れてたらそれこそ宝になったのに惜しいなあ
それは全くの初耳なんですが本土での訓練用でしか使用されていない活動写真銃が何故ラバウルに?報道関係者が訓練用写真銃を持っているわけでは無いですしその情報の出所はどの書籍なんでしょうか??
たしか岩本徹三のwikiにそんな記載があったはず空戦を撮るために従軍報道員が20mm砲を片方おろしてそこにガンカメラをつけるって予定だったけど火力が下がるのを心配して断ったって
たぶん岩本徹三氏の勘違いでは無いんでしょうか。八九式写真銃は内地での訓練用でオマケに翼上装着式です。また二〇粍機銃の銃身の穴とは八九式写真銃のレンズ口径がまるで合いませんから小規模な翼改装も必要になります。(二〇粍機銃を降ろしたとしても)また機体は個人の専用機では無く搭乗員割による複数人数の担当機体ですので武装や諸装備を大がかりに弄るのは考え辛い所でも有ります。想像ですが報道班が撮影依頼したのは確かだとしても写真銃はラバウルに配備されていなく単に断ったのが実際ではないでしょうか。ただ日本陸海軍による写真銃による実戦撮影自体は全く無かった訳では無く陸軍の黒江保彦氏が快諾して空中戦を撮影。そのフィルムは映画「加藤隼戦闘隊」で一部使用されています。
このニュース映画を上映している時(1944年2月16日)にはラバウル航空隊には100式司令部偵察機が1機しか残っていなかったようです。1942年頃の映像を編集して戦意高揚のために上映していたんですね。(つω・、)
liwalin 四年後から失礼。1942年のラバウル海軍航空隊の零戦21型に深緑はなく白っぽい灰色の機体が主流ですよ。そして1942年は零戦52型は、ラバウルに配備されていません。
@@金正恩-k1v 補足ですが1942年なら台南航空隊、253空の頃ですね
不思議な話しもありますよね。劣勢だったはずなのに、いきなり現れた友軍機。米軍パイロットが確認しています。しかしレーダーに映らない。米軍機に機銃浴びせて消えました。消えたんですよ。米軍パイロットの証言です。多分、多分ですよ。既に殉職した日本のパイロットの英霊でしょう。この話し聞いて、涙が止まりませんでした。
凄い!。これが、本物のラバウル航空戦だ!。百聞は、一見に如かず。米軍機は、あんな感じでバラけて飛んで来るんだ。
この中に岩本さんが、居られる筈です。
最後に日本酒をいただいて大笑している人物は小高實氏と思います。
帰ってきた戦闘機は一式隼ですよね・・・カッケー!
atobe bus どこにあんの??
貴重な映像ありがとうございます。ちょっと矛盾6分45秒で、まぐれ当たり・・・我が方にも時に損害あり最後は、全機無事帰着。どっちまぐれ当たりで、あたった人はかわいそう
1月17日、この日、迎撃した零戦隊は敵12機を撃墜、稀に見る戦果だったが、前年12月17日から2月19日までの米軍のラバウル猛攻により零戦約400機を粉砕されてしまった。そして2月17日、18日、後詰めのトラック島大空襲により零戦を含む残存機325機が全滅、その他巡洋艦2隻、駆逐艦2隻、潜水母艦2隻、飛行機輸送船1隻、油槽船6隻、貨物船17隻、撃沈合計20万トンの大災厄を蒙ってしまった。何の抵抗もない暴虐の限りを尽くした米軍の攻撃だった。この潰滅は、日本軍にとって取り返しのつかないものだった。日本艦船の墓場となった秘密基地トラックはあっけなく過去の遺物になってしまった。そして。。。。 この日の迎撃戦よりわずか一ヵ月後、一機の飛行機も無くなったラバウルは基地としての価値はなくなり、終戦まで幽霊屋敷のようになってしまう。栄光のラバウル航空隊はついに消滅してしまったのだ。ラバウルでの戦死者約10000。ラバウルにあった1000の建物は、2万トンの爆弾投下により病院を含めすべて破壊されてしまった。しかし残存の日本兵は餓死をせず、終戦まで生き抜いたのである。そしてあとは、サイパン、テニアン、グァム、マリアナ海戦と大敗北の連鎖が続く。
ラバウル航空隊は後に少数ですが復活してますよ。ラバウル航空隊が解散したのもトラックの部隊が壊滅したため後退しただけでアメリカ軍に壊滅させられたことはありません。数百機の敵機にたいし、零戦40~50機で迎撃して最後まで制空権を失わなかったのは賞賛に値するでしょう。アメリカもラバウルを龍の顎と称して恐れられていましたからね。
「ラバウル航空隊が解散したのもトラックの部隊が壊滅したため後退した」ことを「栄光のラバウル航空隊はついに消滅してしまったのだ」と表現することは可能ですし、「ラバウル航空隊は後に少数ですが復活してます」からといって、のラバウル航空隊の復活とは言えないのではないでしょうか。
ごめん・・・間違ってた。帰ってきた戦闘機は零戦でした・・・恐らく21型・・・でもカッコ良いです。もしか、本物のラバウル基地所属の隼?の期待が大きくて・・・間違ってました(>_
ポートモレスビーは、現代もなんもない場所。日本の兵隊さんは、背がちっちゃくて細くて肉より米食べて…こんなにがんばっていた人たちが未来を信じて日本を支えてくれたのかな❓
Can someone translate this for me?
みなさん~ 来年の2月下旬~3月上旬 シドニー~横浜間 クイーンビクトリアに乗船しよう!途中ラバウルに停泊します。日本人向け慰霊ツアーが多数あり。大手の旅行会社もツアーがあります。来年めでたく定年を迎える方、新婚旅行に・・プー太郎しているヒマ人退職金で乗りましょう!
坂井中尉は著書で述べていました。空中戦で戦闘機の性能は、スピードや武器の威力ではなく、旋回能力と装弾数だと。零式 52 型の 20mm 機関砲は装弾数も少なく、射程距離も短かったのでパイロットに不評だった、と。弾が放物線を描いてすぐ下に落ちて行ってしまい、見た感じが小便の様だったので、20mm 砲は、パイロットに小便弾と呼ばれていた、という事です。フィルムとは関係ないですが。
・・・皇国の皇軍英霊に対し奉り直立不動!・・・一同最敬礼! 先ずは襟を正して、拝見拝聴しなければならない、昭和の私としては・・・・ ここに移された日本人は、やがては私たちの父となり叔父となって、ともに戦後の昭和を再建なされた方々ですよ。今再びの試練の前に、かくも神々しく、目に映るんです。 まさに、昭和の神兵、神国日本の防人たちであらせられる。 今まさに、昭和の名残のような私たちにとって、あなた方が命を懸けて為されたがゆえに、先の大帝とともに、ここに世界随一の日本国となったことに、感謝と御恩を忘れ難くあります。 死せる命の有らばこそ、今ここに残せし命のあらばこそ・・・ 靖国の神の御霊の集いしを、末の世にまで語り継がむ 草莽の民草 すめろきいやさか
下の人が言うように永遠の0読むといいですよ
これは戦時中に何度となく繰り返された国民への過大宣伝用映像でどう考えても69機撃墜はおかしいのよ。仮にだよ、敵がこの喪失数の倍で攻めてきて零戦がそれを半分たたき落ちしたとしても被害が1機もない事自体がありえないのです。
被害は0ですね被害は
実際は撃墜12の被害0と言われている。日本圧勝であった事は間違いない。撃墜の誤認は当然あるが被害の誤認はまずないので。数で相当劣勢なのに12:0は凄すぎるラバウル航空隊。
69対0なんて、あるわけないでしょ。
自分も最初はそう思いました。でも、ほとんど事実でしょ。米軍パイロットが恐れていたのは事実ですよ。今でも実は、米軍パイロットが靖国神社に参拝に来てますよ。亡くなったパイロットの子息も来てますよ。本当です。
しかし、防衛研究所も認知した記録なんですよ…
大日本帝国万歳\(^o^)/
「永遠の0(ゼロ)」(著百田尚樹)を読むと当時の様子がよく分かります。このころは航空隊も非常に辛い戦いを強いられていたようです。千里の名馬と言われた零戦も18年末期にはグラマンF6Fやシコルスキーという零戦の性能を上回る戦闘機が現れ始めました。エースと言われた笹井中尉、坂井一飛曹、西澤一飛曹、太田一飛曹、岩本徹三氏など熟練者ならまだ十分に戦える技能があったが、彼らも帝国海軍からの無謀な命令によって命を無駄にしてしまうことも。この動画の一年後には神風特攻隊が誕生し若い将校らが無駄死にをしていくことになっていきます。「永遠の0(ゼロ)」はわかり易く、またとても感動します。是非読んで頂きたいですね。
永遠のゼロは評価出来ません。昭和56年頃を境に戦争映画はおかしくなりました。永遠のゼロも同様ですが、なぜか死にたくない日本兵がたくさんいるかの内容だからです。いくら映倫が怖いからと言っても死にたくないを前面に出す映画に違和感を感じずにはいられません。昭和40年代の映画のようにアメ公に対してやってやるぞー感を前面に出してこそ、本来の搭乗員の姿ではありませんか。見ている私たちも奮い立つ思いで見たものです。ちなみに私は50代後半です。
実際の戦果は12機撃墜。命を掛けての戦闘中とはいえ誤認が大きすぎる。まぁ宣伝兼ねてたんでしょ
ウソ言うな!
↓そうやって日本人にマイナス思考植え付けて回ってるの?。
↓100%の嘘をこきまくってるの?。
ただなぁ日本兵の一番の敵は大本営というね。ほんとおつかれさまでした。
『ラバウルの空は岩本でもつ。』
岩本さんの本を読んできました。本の中で言及されてた動画が実際に確認できて嬉しいです。ありがとうございます!
戦史と映像がリンクしてる貴重な映像です。
トップエースの岩本徹三さんと小高トッカン兵曹が同時に出演。
日本海軍航空隊最後の花形シーンです。
こんな動画が観られることに感謝します。
この時の戦いは本で読みましたがさすが精鋭揃いのラバウル航空隊ですね。🇯🇵
4:24に離陸する零戦(機首の形状から21型だと思います)は右翼の下に何か懸吊しています。たぶん三号爆弾だと思います。
貴重な映像をありがとうございます。
英霊の皆様には感謝しかない。
字綺麗だなぁ
鉢巻きに一升瓶を持っているのは通称トッカンこと、小高氏です。中学生の時の同級生のお父さんでした。そして隠れた撃墜王です。
五本の指には確実に入ってます。潜水艦を一発で撃沈したのは世界史で彼だけです。
そして最初の特攻隊の確認役です。(戦史では二番目となっているが)
現在you tubeで視聴できる昭和時代のNHK特集「紫電改」にも、壮年のころの小高登貫(のりつら)氏が、空戦フラップの使い方についてインタビューに答えているシーンが収録されている。氏の手記「ああ青春零戦隊」は今でも光人社NF文庫で入手可能だ。次世代の日本の青少年にぜひ読んでもらいたい一冊である。
潜水艦撃沈について米軍の記録を調べてみましたが、残念ながら、その海域での損失はありませんでした。
関行男大尉の敷島隊の特攻直前に、久納中尉の特攻の出撃があったのを、本で読みましたが事実でした。久納中尉が予備士官でしたので、海兵出の関大尉を軍神として報道したい大本営の思惑でした。
先輩方すごかったのですね!誇らしくおもいます。
祖父が戦時中にラバウルにいたと聞きました。
戦時中の思い出は何も遺しておらず、アルバムから写真を剥がした跡があり、幼少期の写真もあったのに戦時中の写真だけ1枚も残っておらず、思い出話も休憩中の楽しかったことしか話してくれなかったようで、さぞかし辛い思いをしたんだろうと親と言っていました。
ですが先日曾祖母の遺品から俸給のお知らせや、戦後帰国した時の復員証明書などの書類が出てきて海軍の第28設営隊に所属していたことがわかりました。
このパイロットたちを死地に送る施設をつくったことに罪悪感を感じていたのかもしれません…。
ちなみに、零戦を間近で見ようと近寄ったら零戦はお前ら馬鹿が触っていいもんじゃないと怒鳴られたそうです。笑
やはりこの頃までの海軍航空隊はエリート集団だったんですね。
そりゃ皆憧れますわね。
岩本徹三の空戦記に、この日の事らしい記述があるね、最後のほうに自分が大きく写されていて、あとで見て驚いたとある。
それにしても、トラック島にあった約450機の航空機が破損、壊滅とは。なんとももったいないことだ。
今はこんな日本であるが
千年、二千年も後になれば日本は誇りを取り戻すだろう
ラバウル末期の 零戦隊の 奮戦は凄まじかったと 当時の 指令は 後に 激賞してます。 少ない機数で 圧倒的多数の 敵編隊に 知力と 気力で対抗していたのは 正に 日本人の 誇りです。戦況を見極めて 戦い続けた ラバウル航空隊には 日本人の 素晴らしい所の 全てが 凝縮されている気がします。
また 賛否両論のある 岩本少尉ですが 『 ラバウルの 空は 岩本で持つ‼︎』 この言葉が 全てです。
敵味方関係なく ラバウルで 散った 英霊に 哀悼の意を 思います。
今日知ったんだがうちのおじいちゃんここにいたらしい。
この島で腕にくらった銃弾が記念?として今も家にある。
この映像に映ってる人たちでおじいちゃん知ってる人もいたりしてw
もう20年前に死んだけどね。
なにがすごいってラバウル航空隊のおかげでアメリカがラバウル攻略をあきらめた一因を作ったのがすごい。まあラバウル航空隊は最後の最後まで精鋭部隊が守ってたわけですが
万歳!!
畏れおおくて、この言葉以外出てこない。
8:46~この方が岩本さん
軍需品軍事用の物資兵器装備品艦船航空機燃料原材料糧株軍需品補給部隊前進あるのみ
52型は円形翼で翼端縮小で横転性能が大幅に向上し失速特性を改善させている。
タンク増設で航続距離を伸ばし。
向上した急降下制限速度400ノットは敵と同等
20mmは21型の60発から125発に増え、後に高初速型になっている。
自動消化装置もあり、速度向上とあいまって21型より52型の方が明らかに高性能。
現地からも21型はもう送ってくるなと要請している。
この時の戦闘結果は米軍の資料とつき合わせて12対0で日本の勝ち、69機は盛りすぎだが5倍ぐらいの誤差は日米両軍で平均的誤認。
米国の参加戦闘機はF6FとF4U、戦勢が圧倒的に不利になる前は52型でも互角に戦っている。さもなきゃ対ゼロ戦特化のベアキャットの開発もない。
零戦のエンジンカウルの形状から21型と22型、それに推力式単排気管らしきものが見えるので52型もいるようです
この日、1944年1月17日、米軍はP-38を八機、F4U、F6F、SBD、TBFそれぞれ一機、合計十二機を喪失しています。
日本海軍204空、253空の損失は零。
撃墜戦果に誤認はつきもので「69対0記録」は明らかに過大ですが、日本軍側が一方的な戦果を記録した事は事実です。
この日の話ではずっと疑問をもっていましたが、もっと米側の被害は多いはずです。 実際この映像ではB24撃墜を報じていますが現在そういった米軍の記録は無さそうです。 米軍の戦爆連合はたくさんの部隊が集まって構成されていました。 たぶんそれぞれの飛行隊によって被害の記録が残されているかいないかで話が変わっているのでは。 もしくはこの映像が他の日の戦闘と混ぜて編集されたか。 しかしこの日ラバウルの地上員は50機にも及ぶ墜落を目撃しています。 もちろん地上からも複数の人員が同じ飛行機の墜落を重複して報告しているかもしれませんが。 ちなみに日本側に被撃墜が無かったことを米国人が大変驚いたとか。 米側も日本機を数十機撃墜と認識していました。
toshio watanebe 君
初速は遅く「小便弾」と呼ばれ、装弾数60発の九九式二十粍機銃二型搭載は零戦21型です。
52型搭載の三型では、初速、発射速度も向上し、100発ドラムに変更以後125発から200発のベルト給弾へと進化しています。
いろんな型式の零戦が乱舞してる。
昨日の敵は今日の友。今でも靖国神社参拝に来ている元米軍パイロットたち。「空のサムライだ、彼らは勇敢だった」と。米軍パイロットは絶対に日本人を馬鹿にしません。敵でありながら敬意を持ってくれています。米軍パイロットの息子のテキサス親父さん。最近見ないけど元気かな?数年前に靖国神社参拝に来てくれましたよね。
流石に69は誤認だが0は本当というのがラバウル航空隊の凄腕ぶりを物語る(悲しいかなこの勇者たちの多くは数ヵ月を経ずして多くが戦死してしまうのだが)
凄い画像ですねぇ-!こんな画像を良く投降して下さいました。
こんな南方の島に良くもこれだけの航空機を集めておれたものと感嘆します。
惜しむらくはこれら勇猛な兵士達の活躍をもってしても、戦局の挽回はならなかったことである。その後個々に登場した若き航空兵士達の運命はどうしたのであろうか?
明るく、恐れhげも無く、勝利を信じたこれらの若き獅子たちの運命は?
話し八部だとしても、凄いじゅないのよ 零式艦上機!
中期以降は改悪も重なり、七面鳥撃ち(阿痴でも落とせる)などと揶揄されたど、
どうして どうして やるじゃないですか 零戦さん !
出撃し、空戦後も立派に帰還している・・・それだけで凄いよ。
実際は、卑下するほどの大差って無かったんだね?
+かわさききよこ さん
所謂日本で言う大本営発表でありまして実撃墜は梅本 弘 によると
10~11機前後だそうです。
但し11機撃墜だとしても味方は全機帰還なので大勝利と言えます。
(20年3月19日の松山付近の紫電改の活躍も実は負け戦でした)
この時期、日本のパイロットの練度が酷かったと言われますが
バリクパパン等の製油地に近い飛行場では練度も高く空襲しに来た
米陸軍の戦闘機・爆撃機に少なからずの損失を与えています。
要はやはり「航空機用ガソリン」の充足による訓練度合いなんでしょうね。
+pon yama さん
>練度も高く
これを蔑ろにしたことで、後から大きなツケが回って来ましたね。
>航空機用ガソリン
お爺ちゃんから、戦時中に松の根っこを掘らされたって聞きました。これを精製してテレピン油(航空燃料)にすると聞いたって言ってたよ。
四式戦闘機なんかは、高性能オイルを入れたら、ノースアメリカン P-51を凌ぐほどの性能を発揮したとも聞いたわ。勿論、工業力の差は歴然としてたけど、高性能オイルと、訓練度合いって、仰る通りで重要よね。
+かわさききよこ さん
>松の根っこを掘らされたって聞きました。これを精製してテレピン油(航空燃料)にする
残念ながら松の根から採れた油は当時は精製技術が足りず
航空機用ガソリン(車両用でも無理)としては使えませんでした。
無論科学的には可能なのですが三次精製までは不可能で
出来たモノは良いところオクタン価で50くらいだったようです。
(通常は87~92オクタン価、米軍は普通に100オクタン価以上)
>四式戦闘機なんかは、高性能オイルを入れたら、ノースアメリカン P-51を凌ぐほど
それは米国製のオイル・プラグ・高オクタン価のガソリンを積載の上
実戦装備では無い状態ですね。
因みに大戦中期までの日本航空機使用のオイル(潤滑油)は実は
戦前に米国から輸入したものを貯蔵したものを使っていました。
無論戦争中は米国からの輸入は出来ませんから中期以降は
粗悪な(までは行きませんが)日本製となりました。
あと余談になりますがよく「もう少し戦争が長引けば新鋭機が」との
話を出される方がいらっしゃいますが実は昭和20年8月の終戦時の
日本陸海軍の航空機用ガソリン残量は約一ヶ月分で
既に戦争継続能力が無くなっているのがよく分かります。
(資料:石油技術者達の太平洋戦争)
+pon yama さん
>残念ながら松の根から採れた油は使えませんでした。
そうだったんですか。
でも、お爺ちゃんがしたことは、決して無駄にしたくないわ。
お爺ちゃんも、お国のためにと思って一生懸命掘ったんですもの。
>航空機用ガソリン残量は約一ヶ月分で戦争継続能力が無くなっている
山本五十六大将の言ったとおりになったわね。
戦争に負けちゃったけど、息子や夫を戦地に送り出した母や妻、
そして家族の深い悲しみを思うと、胸が詰まるわ。
戦地に赴いて命を投げ出した方々を思うと・・・、ホント頭が下がるの。
悔しいけど、これで良かったのかな・・・と。
そういえばこの日の本当の戦果は小高の父ちゃんが戦闘日誌に残しているよ。大本営発表と違い、現場のパイロットの日誌だから正確。探せばこの日の戦闘日誌の記録があるので探してみるわ。見つかったら投稿するよ
岩本さんも日記を残してるけど?
クイーンビクトリアはあのクイーンエリザベスの姉妹船です。名門キュナードが運営しています。
この撮影のとき報道関係者が岩本徹三にガンカメラつけてって頼んだけど断られたんだよね
つけて欲しかったなー・・・
もし日本のエースの空戦が撮れてたらそれこそ宝になったのに惜しいなあ
それは全くの初耳なんですが本土での訓練用でしか使用されていない
活動写真銃が何故ラバウルに?
報道関係者が訓練用写真銃を持っているわけでは無いですし
その情報の出所はどの書籍なんでしょうか??
たしか岩本徹三のwikiにそんな記載があったはず
空戦を撮るために従軍報道員が20mm砲を片方おろしてそこにガンカメラをつけるって予定だったけど
火力が下がるのを心配して断ったって
たぶん岩本徹三氏の勘違いでは無いんでしょうか。
八九式写真銃は内地での訓練用でオマケに翼上装着式です。
また二〇粍機銃の銃身の穴とは八九式写真銃のレンズ口径が
まるで合いませんから小規模な翼改装も必要になります。
(二〇粍機銃を降ろしたとしても)
また機体は個人の専用機では無く搭乗員割による複数人数の
担当機体ですので武装や諸装備を大がかりに弄るのは
考え辛い所でも有ります。
想像ですが報道班が撮影依頼したのは確かだとしても写真銃は
ラバウルに配備されていなく単に断ったのが実際ではないでしょうか。
ただ日本陸海軍による写真銃による実戦撮影自体は全く無かった訳では無く
陸軍の黒江保彦氏が快諾して空中戦を撮影。
そのフィルムは映画「加藤隼戦闘隊」で一部使用されています。
このニュース映画を上映している時(1944年2月16日)にはラバウル航空隊には100式司令部偵察機が1機しか残っていなかったようです。1942年頃の映像を編集して戦意高揚のために上映していたんですね。(つω・、)
liwalin 四年後から失礼。1942年のラバウル海軍航空隊の零戦21型に深緑はなく白っぽい灰色の機体が主流ですよ。そして1942年は零戦52型は、ラバウルに配備されていません。
@@金正恩-k1v 補足ですが1942年なら台南航空隊、253空の頃ですね
不思議な話しもありますよね。劣勢だったはずなのに、いきなり現れた友軍機。米軍パイロットが確認しています。しかしレーダーに映らない。米軍機に機銃浴びせて消えました。消えたんですよ。米軍パイロットの証言です。多分、多分ですよ。既に殉職した日本のパイロットの英霊でしょう。この話し聞いて、涙が止まりませんでした。
凄い!。これが、本物のラバウル航空戦だ!。百聞は、一見に如かず。米軍機は、あんな感じでバラけて飛んで来るんだ。
この中に岩本さんが、居られる筈です。
最後に日本酒をいただいて大笑している人物は小高實氏と思います。
帰ってきた戦闘機は一式隼ですよね・・・カッケー!
atobe bus どこにあんの??
貴重な映像ありがとうございます。
ちょっと矛盾6分45秒で、まぐれ当たり・・・我が方にも時に損害あり
最後は、全機無事帰着。どっち
まぐれ当たりで、あたった人はかわいそう
1月17日、この日、迎撃した零戦隊は敵12機を撃墜、稀に見る戦果だったが、前年12月17日から2月19日までの米軍のラバウル猛攻により零戦約400機を粉砕されてしまった。
そして2月17日、18日、後詰めのトラック島大空襲により零戦を含む残存機325機が全滅、その他巡洋艦2隻、駆逐艦2隻、潜水母艦2隻、飛行機輸送船1隻、油槽船6隻、貨物船17隻、撃沈合計20万トンの大災厄を蒙ってしまった。
何の抵抗もない暴虐の限りを尽くした米軍の攻撃だった。
この潰滅は、日本軍にとって取り返しのつかないものだった。
日本艦船の墓場となった秘密基地トラックはあっけなく過去の遺物になってしまった。そして。。。。
この日の迎撃戦よりわずか一ヵ月後、一機の飛行機も無くなったラバウルは基地としての価値はなくなり、終戦まで幽霊屋敷のようになってしまう。
栄光のラバウル航空隊はついに消滅してしまったのだ。
ラバウルでの戦死者約10000。
ラバウルにあった1000の建物は、2万トンの爆弾投下により病院を含めすべて破壊されてしまった。
しかし残存の日本兵は餓死をせず、終戦まで生き抜いたのである。
そしてあとは、サイパン、テニアン、グァム、マリアナ海戦と大敗北の連鎖が続く。
ラバウル航空隊は後に少数ですが復活してますよ。ラバウル航空隊が解散したのもトラックの部隊が壊滅したため後退しただけでアメリカ軍に壊滅させられたことはありません。数百機の敵機にたいし、零戦40~50機で迎撃して最後まで制空権を失わなかったのは賞賛に値するでしょう。アメリカもラバウルを龍の顎と称して恐れられていましたからね。
「ラバウル航空隊が解散したのもトラックの部隊が壊滅したため後退した」ことを「栄光のラバウル航空隊はついに消滅してしまったのだ」と表現することは可能ですし、「ラバウル航空隊は後に少数ですが復活してます」からといって、のラバウル航空隊の復活とは言えないのではないでしょうか。
ごめん・・・間違ってた。
帰ってきた戦闘機は零戦でした・・・恐らく21型・・・でもカッコ良いです。
もしか、本物のラバウル基地所属の隼?の期待が大きくて・・・間違ってました(>_
ポートモレスビーは、現代もなんもない場所。日本の兵隊さんは、背がちっちゃくて細くて肉より米食べて…こんなにがんばっていた人たちが未来を信じて日本を支えてくれたのかな❓
Can someone translate this for me?
みなさん~ 来年の2月下旬~3月上旬 シドニー~横浜間 クイーンビクトリアに乗船しよう!途中ラバウルに停泊します。日本人向け慰霊ツアーが多数あり。大手の旅行会社もツアーがあります。来年めでたく定年を迎える方、新婚旅行に・・プー太郎しているヒマ人退職金で乗りましょう!
坂井中尉は著書で述べていました。空中戦で戦闘機の性能は、スピードや武器の威力ではなく、旋回能力と装弾数だと。零式 52 型の 20mm 機関砲は装弾数も少なく、射程距離も短かったのでパイロットに不評だった、と。弾が放物線を描いてすぐ下に落ちて行ってしまい、見た感じが小便の様だったので、20mm 砲は、パイロットに小便弾と呼ばれていた、という事です。フィルムとは関係ないですが。
・・・皇国の皇軍英霊に対し奉り直立不動!・・・一同最敬礼!
先ずは襟を正して、拝見拝聴しなければならない、昭和の私としては・・・・
ここに移された日本人は、やがては私たちの父となり叔父となって、ともに戦後の昭和を再建なされた方々ですよ。今再びの試練の前に、かくも神々しく、目に映るんです。
まさに、昭和の神兵、神国日本の防人たちであらせられる。
今まさに、昭和の名残のような私たちにとって、あなた方が命を懸けて為されたがゆえに、先の大帝とともに、ここに世界随一の日本国となったことに、感謝と御恩を忘れ難くあります。
死せる命の有らばこそ、今ここに残せし命のあらばこそ・・・
靖国の神の御霊の集いしを、末の世にまで語り継がむ
草莽の民草
すめろきいやさか
下の人が言うように永遠の0読むといいですよ
これは戦時中に何度となく繰り返された国民への過大宣伝用映像でどう考えても69機撃墜はおかしいのよ。仮にだよ、敵がこの喪失数の倍で攻めてきて零戦がそれを半分たたき落ちしたとしても被害が1機もない事自体がありえないのです。
被害は0ですね
被害は
実際は撃墜12の被害0と言われている。
日本圧勝であった事は間違いない。
撃墜の誤認は当然あるが被害の誤認はまずないので。
数で相当劣勢なのに12:0は凄すぎるラバウル航空隊。
69対0なんて、あるわけないでしょ。
自分も最初はそう思いました。でも、ほとんど事実でしょ。米軍パイロットが恐れていたのは事実ですよ。今でも実は、米軍パイロットが靖国神社に参拝に来てますよ。亡くなったパイロットの子息も来てますよ。本当です。
しかし、防衛研究所も認知した記録なんですよ…
大日本帝国万歳\(^o^)/
「永遠の0(ゼロ)」(著百田尚樹)を読むと当時の様子がよく分かります。
このころは航空隊も非常に辛い戦いを強いられていたようです。
千里の名馬と言われた零戦も18年末期にはグラマンF6Fやシコルスキー
という零戦の性能を上回る戦闘機が現れ始めました。
エースと言われた笹井中尉、坂井一飛曹、西澤一飛曹、太田一飛曹、岩本徹三氏
など熟練者ならまだ十分に戦える技能があったが、彼らも帝国海軍からの無謀な
命令によって命を無駄にしてしまうことも。
この動画の一年後には神風特攻隊が誕生し若い将校らが無駄死にをしていく
ことになっていきます。
「永遠の0(ゼロ)」はわかり易く、またとても感動します。是非読んで頂きたいですね。
永遠のゼロは評価出来ません。昭和56年頃を境に戦争映画はおかしくなりました。永遠のゼロも同様ですが、なぜか死にたくない日本兵がたくさんいるかの内容だからです。いくら映倫が怖いからと言っても死にたくないを前面に出す映画に違和感を感じずにはいられません。
昭和40年代の映画のようにアメ公に対してやってやるぞー感を前面に出してこそ、本来の搭乗員の姿ではありませんか。
見ている私たちも奮い立つ思いで見たものです。ちなみに私は50代後半です。
実際の戦果は12機撃墜。命を掛けての戦闘中とはいえ誤認が大きすぎる。
まぁ宣伝兼ねてたんでしょ
ウソ言うな!
↓そうやって日本人にマイナス思考植え付けて回ってるの?。
↓100%の嘘をこきまくってるの?。